プロフィール

私、ふるや えいじろうは(古屋 瑛二郎)は大倉山生まれ、育ち。小学校3年生まではソフトボールのキャッチャーをしていました。

4年生からはサッカーをはじめました。きっかけは『ダイエット』でした。

でも、身体が大きいから、GK・・・。え?動かないし笑

それから、大綱中学校で横浜市で3位、高校では都大会ベスト16。

あ、共に控え選手でした笑

社会人では35歳まで休んだりしながら活動してました。

大学は日本体育大学に進み、トレーナー研究会に所属してました。ここのサークルが僕の人生の礎になっていると言っても過言ではないところでした。

学生トレーナーであっても、日々テーピング技術、ストレッチやスポーツマッサージの技術、リハビリやリコンデショニングの知識や実践、そしてスポーツトレーナーとはなにかを学び、時間があれば図書館で医学書で学び、先輩にダメ出しを受ける日々を送りました。

そこから、4年次に日体柔整専門学校と接骨院の研修と大学と卒論と教育実習のスーパーヘビーな1年を過ごしまして、無事、柔道整復師の資格を取得できました。

さて国家資格の柔道整復師を保持して15年が経ちます。

柔道整復師は医療系国家資格の一つです 。約3000時間に及ぶ講義と実習を経て 、解剖学 、生理学 、運動学 、病理学 、心理学 、整形外科学 、リハビリテ ーション学を学び 、体についての知識を身に着けた 、治療のエキスパ ートです。また、特に骨、関節、筋肉のスペシャリストであり、世界でも唯一自国家で骨折と脱臼を医師の診断なくても許されるセラピストなのです。

整形外科勤務時代、主任に鍼灸の資格を取得したいのですがと相談したところ『柔道整復師の資格を取得してまだ浅いのだから、柔道整復師の資格を極めてみてはいかがですか?』と言われこの資格1本に決めた。

開業当初は、とにかく自分の実力を向上していくことに励み、それを患者さんに返していく。その繰り返しでした。世界は広い。でも狭い。外に出れば出るほどわかっていくのかわからなくなるのか。

ただ、一つ言えるのは僕はパーソナリティーが向上したと。

開業して3年経った時、当時大豆戸FC代表の先輩からトレーナー要請をいただき、そこから念願のサッカーチームのトレーナー生活が始まりました。

チームは今でも(2108年現在)強く、関東大会で関東は全部行かさせてもらいました。

中でも小川航基率いる現在20歳(2108現在)は栃木での連戦(初戦延長PKにて勝利)でスタメンが疲労困憊状態だったのを、ほぼ全回復させ、翌日の試合を身体に疲労を残させないでプレーさせられたのはよかったですし、監督、コーチにトレーナーの存在を評価していただけた試合だったターニングポイントだったと思います。

活動内容としては、トレーナーは基本、アスレチックやフィジカル、コンディショニングなど分野が別れているのですが、僕は全てをこなしていました。それにより、実力も上がってきました。極めつけは、その場で施術を行い、改善させてしまうというのが特徴でしたね。動体療法やKYTなどは即効性があり、症状改善に特化していましたので、選手も改善していくところがここからなのか〜!!とびっくりしてました。

さて、そのトレーナーも昨年度で活動は終了し、今では水日太木に設置してある人工芝で身体のビフォア&アフターを見ることでピッチサイドで行えることをしています。

スポーツ選手を見ることが多いように見えますが、患者さんのほとんどは一般そしてスポーツをしていない方々です。

改善することは割と簡単なんです。むしろ維持することが難しいのです。

なぜか、ある機能が使えていないから

それは、横隔膜だと今は思います。

これに関してはきている患者さんに施術することで理解してもらってます。

そして、この内容は別でお話しさせていただきます。

古屋 瑛二郎

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